はじめに
本稿を起すにあたり、わが尊敬する郷土歴史家 樽谷雅好氏の協力を得ました。氏は格段に深い知識・見識の持ち主であり、‘怖い存在’でもあります。私と‘同い年’の誼あって、大いに甘えさせていただきました。ご厚意により許可をいただき、氏のHP掲載写真を使用しております。氏には深謝申し上げます。
5月1日の高岡御車山祭礼を前に、例年4月3日「与四兵衛祭」が高岡関野神社において執り行われる。本稿では「与四兵衛」と標記するが、本名「津幡屋與四兵衛」である。「与四兵衛祭」には各山町の御車山保存会理事が出席、市長はじめ高岡市関係者も招かれ、神社に合祀されている与四兵衛の御霊「弥真進大人(マゴコロイヤススメ ウシノミコト)」を祭祀する行事がある。
神事の後、山町理事は今年の御車山祭開催についての諸事評定をする事から、山町関係者にとってはこの日が「祭(マッツリ)はじまりの日」なのである。
御車山奉曳巡行の終盤、二番町に差し掛かった各御車山は、与四兵衛の遺徳を偲び、本日奉曵の無事を報告するため、二番町の「生家跡」に立ち寄り、神楽を奏上し詣でる事が慣わしとなっている。
このようにして、御車山祭礼に特別な人「与四兵衛」はどのような人物だったのだろうか。伝え聞いた中からその人物像を私なりに探ってみよう。