御車山の花警護   三番町 S
 御車山の前方にその町の肩着をつけて座男児を花警護といいます。
 年齢は年中クラスの園児から小学六年までとし、6〜7人が座っており、毎年、参加希望者を募集し、多い場合は前半、後半と分けて応えています。花警護に決められると前日に高岡關野神社へ参り、お祓いを受け身を清めて当日に臨みます。 乗り物好きの子供達ですが 狭い所に7人も座り、気温の高く暑い時などは、たいへんな行だと感じております。 信心深い山町に住む親は男児なら一度は山車に乗せ、神のご加護を願い、又、良き想い出にしてやりたいと思い、応募して来ます。
 寺院の行事によく見かける稚児練りがあります。寺あげての法要や目出度い晋山式の時など、本山より管長あるいは高僧をご招待し、すこし離れた所から寺へ入山せられる。その際管長の前後を稚児衣裳で身を飾り、化粧した稚児が留め袖衣裳で着飾った母親に手を引かれ練り歩く。これも子供が行事に参加した想い出を作り、高僧と一同で練り歩くことにより、お護りをし、盛り上がりを果たし、其れによって、仏のご加護を願う。花警護の役割は仏教行事の稚児練りと同じと思っております。 三ケ町で一基の山車を持つ一番街通りは、それぞれ 飾り番(飾り出町)、仕舞番(仕舞い町)、明き番(休み)と役割分担されます。
 花警護の募集は飾り番の町が優先し、四月十日ごろ町内へ回覧で募集案内を致します。他の町は飾り番町へ申し込み、伺いを立てます。
 一昔、兄弟も多く居たときは花警護に参加出来るのは飾り出し町で跡目を継ぐ長男に限られていたようであります。核家族、少子化の今日、町内の住民では数が少なく、外孫、親戚と範囲を広げて募集しております。
 昭和十六年に始まった世界大戦は昭和二十年終戦を小学三年の時に向かえました。この大戦により、昭和十七年から昭和二十三年までの間、奉曳が中止となり、その間はお祭りの日にお宿でご神体を飾る「飾り山車」として神をお祀りしました。当時は今とは違い児童数も多く、六年生の時は約六十人クラスで三組が有りました。今の平米小学校の全児童数より多いのではないでしょうか? このような状況で花警護の参加のチャンスは私には有りませんでした。