一番街通御車山について 一番町 M
御車山の所有権は各々1つの町内に帰属しているが、七基ある中で一番街通だけが一番町、三番町、源平町の三町で所有し維持、管理、運営を行っている珍しい存在である。
なぜ、三町なのか幼少の頃疑問に思って長老に尋ねた処、「ある時山車を奉曳中に源平町内に於いて鑑札を落とした為一番町に対して、仲間に入れてくれなれれば返さない、又三番町も仲間に入れないなら通さないと云われてそれで三番町一緒になった。」と云う意味の答えが返ってきた。当時はそれで納得していたが長ずるに従って誠に不自然で信憑性に欠ける話であると思う様になった。私見であるが一番町が経済的な理由から二町に協力方を要請したのではあるまいかと思う。御車山の標旗も「一番街通」と有るが当初は「町」を使っていたと思われる。文政五年(1822)の長押の箱書には「一番町通」と街ではなく町を使用しているがいつの時代からか「街」を使う様になった。
言い伝えだが当地に寄留していた金子と名乗る学者が三町仲良くする為の提案との説もある。三町経費も先人の考えで一番町40%、三番町25%、源平町35%と現在迄続いているがこれを三分の一づつ分担するのが発言力等で公平が計られるのではなど今後の課題の一つかも知れない。運営は三町より三人づつ役員が選出され九人の合議制で行われ五月祭礼が終了後、直ちに次の当番町に山蔵の鍵や帳簿書類一式を受渡する為の会合を開く。御車山保存会で年番引継を行っていると同じ方式で当番が終了した町内が座敷の上座に位置し全員が席替をする。勿論決議事項もすべて古式に執り手拍ちにて行う。
三年に一度当番町が回ってくるが保存会の年番は五年に一度なので当番と年番が重なる時は多少混雑で判断を誤らない様に頭の整理が必要となる。住吉明神が祭礼で毎年八月二十日に関野神社で九名の役員によって住吉祭が厳粛に執行されている。今後共三町が仲良くし更なる発展を心から祈念する次第である。 (平成21年 8月19日)