山宿と伝承 一番町 A
ずっと昔は、私財を投げ売ってでも「山宿」を願い出て務めた経歴を持っていますが、時代とともに少子高齢化や在住者不在の住民構成及び住居構造により、経済的負担よりも、人的にまたスペース的な制約が主因であり、今後さらに厳しくなると予想されます。
一番街通りに限らず十ヶ町の各町に共通することですが、公民館的施設やライトアップスペースなど、町別に長期的な共用エリアが必要だと感じています。
御神体 一番町 Y
毎年山町では、山車を曳き始める飾り宿と、山車を曳き終えた仕舞い宿を各家々で務めています。山車は、高岡に伝わる伝統工芸の数々と、神の降臨を願って豊作を祈願する祭壇の形式を同時に備えた形といわれています。
一昨年、私はこの仕舞い宿を司りました。その折、御神体である尉と姥の前でしっかりお守りする気持ちと、間違ってもこの上の二階で家族は眠ってはならないと或る人から強く諭されました。一階の飾り付けの部屋から少し離れていればたいした事は無いだろうと私は一人、二階に休みました。朝方、階段を下りようとした瞬間、ふわっとなった気持ちのまま下に置いてあった段ボールの上に真っ逆様に落ち、ふっと気がつきました。確かに頭から落ちたのに打ったところも無ければ、どこを触っても全く痛みを感ぜず、こんな不思議な事があるのかと暫く呆然としていました。恐る恐る立ち上がって歩いてみても何ともなく、昨暗、諭された言葉を思い出しながら、今更のように何か目に見えない大きな力の存在に言いしれない反省の思いに襲われました。飾りつけた時の祈願、曳き終っての祈願、お宮に仕舞う時の祈願、このような精神的なものとの一体感が自然の内に私達の心の中に誇りとして感じ、その積み重ねが表裏一体となって伝統文化といわれる基をなし、400年に亘って一層の深みを増して今日に至っているのではないかと私は感じています。