山町の子供たち <御車山に乗った思い出> 三番町 H
山町に生まれ育った者(子供)にとって、御車山とはどんな存在なのか。自分自身で感じたことを子供の頃を思い出しながら考えてみたい。
小学校の頃、五月のお祭りが近づくと、祭りのとき山車に乗せてもらうため、裃や袴などの用意をしてもらって、なんとなくそわそわとその日を待っていた思いがある。その頃、町内に多くの小学生の男子がいて、午前と午後に別れて乗せてもらった覚えがある。当日、山車に乗る子供は学校も一時限で終わり、家に帰り裃や袴などの準備をしてもらって、山車の傍で待っていた。この頃は、「乗せてもらうことが当たり前だ」との思いや、山車の上から御車山を見ている友達に対して「山町の男の子しか乗れないのだ。」という優越感みたいなものも少しあったように思う。
御車山に山町(町内)の子供たちが乗っている。自分が子供の頃には、これにはどのような意味があるのだろうか、なぜ山車に子供が乗っているのかと考えたことも疑問も無かった。(何も考えていなかったのは自分だけかもしれないが)「この町内の子供だから乗る。」としか考えていなかったように思う。
御車山の奉曳は、山車の上に町内の子供たちが乗り(「花警護」と言うことは大人になってから知ったが)、さらに、山役員が御車山の前後左右を警護して行われる。いつの頃から子供たちが乗るようになったかは知らないが、子供の頃に乗ったことが、自分の御車山に対する思いにも繋がっていると思う。時代の変遷につれ、少しずつ内容は変わっていくかもしれないが、自分が子供の頃に乗った御車山に対する思いを大切にしていきたい。